逃げる。

 必死で逃げる。

 誰も信用できない。
 何処も安心できない。

 入り組んだ通路は自分の居る位置を狂わせ、今何階に居るのかすら定かではない。

 窓から外を見れば分かるかもしれないが、見つかってしまう危険のあることは出来ない。

 見つかってしまえば・・・いや、立ち止まってしまうだけでも危ない。
 兄は無事だろうか。途中まで一緒だったウカシェヴィチは?

 一度気になってしまえば不安は尽きない。

 少しの戸惑いと懸念。
 それが彼の明暗を決した。

「アルフレッドさん?」

 アルフレッドを思考の底から引っ張り上げたのは、彼が何かと構っている後輩の声だった。












 振り向けば、いつもと変わらぬ表情で微笑むアーサーが立っていた。
 だが、異常の中での正常は転じて異常だ。

 彼との間にある距離は4メートルほど。
 近くも遠くもない距離は、彼の指が手に持つ銃の引き金にかかっているのを確認するには十分だった。

 ああ、アーサー!君もなのか!

「アーサー、やめるんだ・・・。こんなことをしても、何もならないっ・・・」
「・・・ごめんなさい。でも、やらないなんて選択肢は無いんです」

 アーサーは銃を構えたまま動こうとはしない。
 ためらっているのか、隙が出来るのを待っているのか。

「監督からの伝言です『恨むなら』」
「『自分の生を恨んで』だそうですよ」

 アーサーの言葉を引き継いだ、アーサーのものではない声は後ろから。
 アルフレッドが振り向くのと、背後に迫っていた菊が手に持った銃の引き金を引いたのは同時だった。