地元警察の巡査であるエミット・オールがその男を呼び止めたのは、彼が深夜と呼ばれる時間帯に建物と建物の間にある人気のない脇道をうろついていたからだった。

「名前はギルベルト・バイルシュミット。年齢は・・・あー・・・20過ぎてるのは確かだな。国籍は一応ドイツ。副業が神父で、本業は秘密だ」

 目深に被ったフードから見えるのは銀髪と赤眼――不自然のない色彩だからアルビノなのかもしれない――、歳は自己申告どおり20前半ぐらいだろう。
 神父を自称するくせにカソックを着ているわけでも聖書を持っているわけでもない。そもそも副業:神父って何だ。

 滅茶苦茶怪しい。怪しすぎて怪しくない気がしてくるぐらい怪しい。


 この街ではここ最近、正体不明の殺人鬼による通り魔事件が多発していて住民は皆暗くなると自宅に閉じこもるようになっていた。
 こんなときに外を出歩くのは軽率な物好きかエミットのような見回りの人間ぐらいだろう。

 そうでなくば――獲物を求めた事件の犯人か。

「・・・何故ここに?」
「仕事だよ。し・ご・と。俺様これでも勤勉なドイツ人だぜ?」

 殺人鬼でなくてもヤクの密売人とかかもしれない。
 一度、詰め所の方まで来てもらおうか。
 もし潔白な仕事人だったとしても、保護する必要はあるのだから。

 そう結論づけたエミットが話を切り出そうとしたときだった。

「ちょっ・・・来い!」
「うわっ」

 素早い動作で腕を掴まれ、ギルベルトの方に勢いよく引き寄せられる。

 銀色の軌跡が目の端を掠める――それが剣を瞬息で振り下ろした名残であることを彼は知らなかった。

 時を同じくして空を覆っていた雲が風で流れ、半円の月が光を溢れさせる。
 引き寄せられた勢いのまま、ギルベルトの背に庇われるように立ち位置を変えさせられたエミットは、やはり何か後ろめたいことがある人物だったのかと不信を露わにするよりも早く、目の前で起こる非現実を直視することとなった。

 頼りなくも目映い月明かりはついさっき自分が居た空間に爪を突きたてるトカゲと蝙蝠を合わせたかのような醜悪な生き物を照らし出していた。

 甲高い断末魔のような唸り声が響き、切り裂かれた腕の断面から赤い血がほとばしる。

「ひっ・・・」
「あー・・・」

 咽喉が引き攣ったような悲鳴をあげたきり、動けなくなったエミットを見、ギルベルトはフードが外れて露わになった銀髪をかき混ぜるように頭を掻いた。それは、彼が何かを失敗したときに見せる仕草だったが、ここにそのことを知る者はいない。

「ま、説明する手間が省けたから結果オーライってやつか?」

 動きに合わせて揺れる銀髪と身の丈もある長剣が月の光を浴びて煌めいた。
 こんな大きな危険物を今までどこに隠していたのだろうかと、凍る頭の隅で思う。

 恐怖と驚愕に染まる一般人のことなど全く眼中にない能天気な言葉に、最初から頭上に乗っていたらしい小鳥が同意するかのようにぴぃと鳴いた。そうか、とりさんもそう思うかー。とこれまた呑気な言葉が発される。

 今まさに生命が脅かされようとしている人間がするには不釣合いな会話(話し相手は小鳥だが)は視認できる非現実を払拭するかのような現実だったが、彼が眼前に迫る化け物から視線を外すことなくその左手に携えた剣を振り抜いたのも現実であった。

「あんた、アレが何か知ってるか?闇に潜んで人を見、隙あらば喰らおうと爪を研ぐ人外の存在。人の心の闇に潜り込み、人の心の光を喰らおうとする化け物。――遥か昔、かの人はアレを悪魔と称した」

 身を切り裂かれ、耳障りな悲鳴を上げながら倒れ付す悪魔。
 しかし、それは一体ではなく、建物の陰から湧き出るかのようにその数を増やしていく。

「その悪魔を教皇様の勅命の下で狩るのが俺達神父、・・・・・・言い換えるならエクソシストの仕事ってわけ。副業って言った意味、分かっただろ?」 

 銀の髪と銀の剣を構えた青年。対峙するは醜悪な化け物。もしこれが絵画や映像といった現実のものでなければ聖なる騎士の降臨を思わせただろう。
 しかし、これは目の前で起こる現実で、その光景を見る唯一の観客は何かを思う余裕などなく呆然と倒れ付す悪魔の亡骸を見下ろした。

「俺様としては可愛い弟に後を任せて左団扇で暮らしたかったんだけどなー。あ、『左団扇で暮らす』って意味、知ってっか?日本の諺でよ、楽に豊かな生活を送るってことなんだぜー」

 どんっと背中を押され、地面に倒れこむ。
 その頭上すれすれを何かが掠った感触があったが、持ち上げようとした頭はギルベルトに踏まれたことで再び地面に落ちた。

「ところが何をどうしてかこんな家業・・・。まあ、半分ぐらいは自業自得なんだろうけどな」

 はあ、とやけに演技がかった仕草で溜め息をついた彼は、死角から飛び出して爪を突き立てようとした悪魔を剣を投擲することで止め、勢いづいたせいで伸びきった無防備な首へと蹴りを叩き込んで踏み潰す。

「さて、勤勉なる公僕の民よ。穏健なる我が同志ならばお前の手をとり、肩を抱いて慰めただろう。しかし、神の使徒であるよりも騎士である俺にはそんなことをする義理も優しさもない」

 どうにかこうにか上半身を起こしたエミットだったが、立ち上がる前にその首根っこを引っつかまれ、いつの間にか行き着いていた袋小路の奥へその体を放り投げられた。

「今日のこの時間にここを通って俺に声をかけた自分を恨みながら隅っこで小さくなってろ。ま、命の安全だけは保障してやるぜ」

 手放してしまった長剣の代わりに今度は長短一対の剣を構えたギルベルトは、エミットに背を向けるとにんまりと挑発するような笑みを口の端に浮かべた。

「かかってこいよ。てめぇら纏めて無に還してやる」