「これは夢ではない」 「これは、夢では、ない」 「だが、現実でもない。ここで起こることは本当のことだが、それがお前の周囲に影響を与えるようなことは無い」 「人の考えが形も音も持たない”考え”であるうちはその当事者にしか影響を持たないように、ここはお前と俺だけが現実として影響される」 「信じるも受け入れるも疑うも拒むも自由。だが、ここであったことを無かったことにすることは出来ない。何故かって?ここは多種多様な生き物に共有されるお前達の世界ではなく、我が親愛なる友人達が創った俺の世界だからだ」 「言い換えるならお前は俺の思考の中に招かれた異端者。本来なら存在しないイレギュラー。時はお前の意志とは関係なく流れ、事象はお前の都合を無視して起こる」 「分からなくていい。否定してもいい。だが、逃げることだけは出来ない」 「ただ1つ、お前に危害が加わることはないことは約束しよう」 「さあ、お茶会を始めようか。――Mr.President of U.S.」 少しずつ鮮明になっていく視界の中で、黒い皮手袋に包まれた手が優雅な手つきでティーポットを持ち上げるのが見えた。 何度思い出しても、奇妙な体験だったとしか思えない。 未だにあれは夢だったという気すらしてくる。 ぼんやりとした思考と朧な視界。 その癖、何があったかの記憶ははっきりとしている。 ・・・出来る限りでいいのなら、話してみようか 何故ここに居るのか。 ここにどうやって来たのか。 ここに来る前まで何をしていたのか。 そのときの私は何一つ思い出せず、また思い出そうとも思わなかった。 「アッサムのミルクティーだ」 淡い琥珀色の紅茶が音もなく目の前に置かれる。 開け放たれた窓から入る湿った風が運んでくるのは多種多様な花の香り。 視線をやった窓の外は霧に覆われていて先が見えない。 まるで箱庭の中に居るようだった。 「それじゃあ、改めて・・・。始めまして、Mr.President 。お会いできて大変嬉しい」 そう言って彼は友好的に微笑んだ。 くすんだ金髪に、緑の目を持った歳若い青年。 彼自身に面識があった記憶は全く無い。 だが、私は初対面のはずの彼に何故か懐かしさを覚えていた。 今考えてみれば、それは遺伝子の底のさらなる奥に潜んでいた懐古と呼べるものだったのだろう。 「貴方とは色々と話したいことがあるが、時間があまりないから本題に入らせてもらおう。貴方は”SHK”という組織をご存知か?」 「SHK・・・?」 「そうだ。その様子では知らないようだな。じゃあ、質問を変えさせて頂こう。貴方は”国”についてどれほどのことを知らされている?」 「国?アメリカ合衆国についてか?」 「否。国といえば国だが、そちらではない。”国という存在”のことだ」 ”国”を知っている? 国家機密にも等しい事柄が話題に上ったことに、私は警戒心を抱いた。とはいっても職業柄、それを表に出したつもりはなかったのだが、彼はそんな私の心の機微など分かっているというように苦笑いを零した。 「そんなに警戒しなくても害するつもりはない。貴方は”国”という一般人には知りえない存在について知っていて、こちらもその”国”について知っている。それだけだ」 「・・・・・・」 「その”国”という存在を頭に入れた上で聞いて欲しい」 「・・・・・・ああ」 信用したわけではなかった。 だが、どうしてなのかは分からないが、私はどうしても彼に対して敵意や害意というものを感じ取ることが出来なかったのだ。 「まずは”SHK”という組織についてだ。正式名称は”〜〜〜〜〜”」 「?すまない。今の言葉はどこの言語だ?」 「ああ、ご存じないか。アジアの方の言葉だ。意味は・・・あー・・・今は省かせてくれ。 どこの同盟にも協商にも属さない国による完全独立の組織。それでいて国連主要国に匹敵する影響力を持つ国の集まり、それが”SHK”だ。 そして、国連に属する”国”たちはその存在を『和を乱す』として危険視している。 それらしい話だけでも聞いたことは・・・・・・ないようだな」 私が難しい顔をして黙っているのを見、彼は苦笑いを零した。 「まあ、予想の範囲内ではあるがな。アメリカは自分の目が届かないところで動く存在が居ることを納得できるような性格ではない。そして自分の思い通りにならない存在を周りに言えるほど大人でもない。 それに我々が介入するのは国民が直接的には関わることのない、正真正銘の”国”同士の問題だ。アメリカだけでなく、どの”国”も国民にその存在を知らせる義務も必要もない。 ここでこうやって貴方に話しているのは完全なる例外。ルール違反とも言える」 そこまで話して、彼は手に持っていたティーカップに口をつけた。 彼は私にも紅茶を飲むように勧めたが、対する私は反応を返す余裕もなく呆然としていた。 それまでの常識を覆された気分だった。 私の知識としての”国”とは国の象徴にして分身。国民と文化、歴史から成る人に近くとも遠い存在。 アメリカは外見だけならば10代後半の若い青年だが、その実は何百年も生きている。 その割に年上だと思えたことがないのはアメリカ個人の性格のせいなのか、”国”がそういうものだからなのかは知らない。それほどに他国”と交流があるわけでもなかった。 ・・・単刀直入に言おう。 私は、彼が――否、彼らが清廉潔白な存在だと思っていたのだ。 血に濡れた大地を踏み歩き、昔には剣を少し前までは銃をそして今はペンを手に他の存在を潰し、権謀術数に取り巻かれて生きてきた彼らを、純粋で正直な純然とした存在だと思っていたのだ。 決して裏切らない。決して他を傷つけない。決して嘘をつかない。 人を慈しみ、迷う者の手を取り、未来を指し示しながらも先陣に立つことなくただ見守り続ける存在。 神と言うには及ばず、父母というには恐れ多い、そんな存在だと思い込んでいたのだ。欠片も疑う気もなく、誰に言われたわけでもその様を見たことがあるわけでもないというのに! だが、私の無意識での固定観念は”国”に隠し事をされていた――それだけの事実によって浮き彫りにされた上に覆されてしまった。 そうだ。彼らだって生きている。言葉を発する脳を持ち、考え事をする感情がある。彼らのプライベート全てを把握しているわけではないし、知らないことだってたくさんあるだろう。 誤解しないで欲しいが、私は隠し事をされたことに怒りを覚えたわけではない。失望したわけでもない。 それをするなら私に対してだろうし、このときの私は確かに自分の行為を恥じていた。 「どうかなさいましたか?Mr」 「あ、いや、その・・・」 「どうやら混乱されているようだな」 「・・・・・・」 「昔から、あいつの国民は何処か夢見がちだ。あいつがあんな性格だから国民もそうなのか、国民がそうだからあいつもあんな性格なのか・・・。 ”国”は何百年も何千年も昔から存在しているが、当事者にも分からないことが多すぎる」 「き、みは・・・」 「ああ、そろそろ確信が持ててきただろう?俺も”国”だ。それも、”アメリカ”と深い関わりのある、な・・・」 そう言った彼の表情は、なんとも表現し難いものだった。 「そして彼は私にこう言った。『しばらくの間、”アメリカ”の身柄を預からせていただきたい』・・・と」 「了承、したのか?」 「・・・ああ」 ずっと黙って私の話を聞いていた男――これまで碌に話したことはなかったが、彼が”フランス”であることは知っている――の問いに、私は肯定を返した。 「私が彼の要求に同意すると同時に私の意識は途切れ、気づけば執務室の自分のデスクに座っていた。あの不思議な空間に行く前まで、私は書類を片付けていたんだ。秘書が私の元へ駆け込んできたのはその直後だったよ。 どうしてなんの躊躇もなく彼の要求を受け入れてしまったのかはよく分からない。ただ、そうしなければいけないような、そうすることが正しいような気がしたのだ」 「・・・そうか」 カラン・・・と音を立てながら足元に瓦礫が転がってくる。 天井から床にかけてぽっかりと空いた穴。その貫通地点にあったデスクや棚は無残なものだが、怪我人は1人としていない。 どういう壊し方をしたらこうなるのだろうかと呟けば、あいつらに常識なんてものはないのだと返された。 「知り合いなのか?」 「んー・・・まあ、色々とね」 詳しいことは帰ってきたアメリカに聞いてくれと言い置いて、彼ともう1人――フランスは彼を”ドイツ”と呼んでいた――は簡単な事情聴取の後、世界会議でこの件について話し合う準備をするからと慌しくヨーロッパへ帰って行った。 ”アメリカ”誘拐という国家レベルの事件にも関わらず、私の心は落ち着いていた。 今思えば、あの表現し難いと言った表情は見覚えのあるものだった。 幼い頃、私が無茶をするたびに母親が浮かべていた、心配と怒りをない交ぜにした顔だ。 「また会えるだろうか・・・」 今度会ったら、”アメリカ”が真面目に仕事をするようにするコツでも聞いてみようか。 |