「ただいまー。兄上。あれ、何飲んでんだ?」 ・・・我が兄はいつから昆虫になったのだろうか。
自他共に魔王の片腕と認識されているプロイセンだが、普段は城に留まらずに自由奔放に大陸各地を渡り歩いている。
その日、悪友の1人であるフランスのところに顔を出したのも単なる気まぐれだったが、いい物を手に入れることができたのは僥倖だった。 言っちゃあ悪いが、貧乏くさい。
「・・・・・・好きなのか?」
食べる物がなくて砂糖水を飲む魔王。
「・・・クーヘン、作ったら食べるか?」
暇を持て余していたらしい神聖ローマが手伝いを申し出たので、歩幅の短い神聖ローマをプロイセンが抱え上げて厨房へ向かった。子供扱いも同然だが、慣れてしまった両者に異論はない。
城の厨房を使うにあたってはいくつかの暗黙の了解がある。 厨房に隣接した料理人用の休憩室を覗き込むと、仮面をつけた料理長がレシピ本と猫に埋もれていた。割とよくある光景である。
「トルコ。厨房使うぞ」 どうやら昼寝中だったらしい(仮面のせいで分からなかった。すまん。)トルコは、声がした方に顔を向けると気安い態度で了承の言葉を返した。
「ギリシャー!猫を寝床に入れるなっていってんだろうがー!」と怒鳴る声を背に、厨房の扉を開ける。 それなりに広い厨房の適当な一角を使うことにして、食材のストックを確かめた。 必要な食材が揃っていることを認めると、まず小麦粉を引っ張り出して必要量をボウルに移す。そして厨房の隅から持ってきた踏み台の上に立つ神聖ローマに渡した。
「この粉、篩いにかけてくれ」 神聖ローマが小麦粉を篩いに落とす横で、プロイセンは別のボウルに卵を器用に片手で割り入れ、牛乳瓶から直接牛乳を流しこんだ。さらに砂糖と塩を加えて混ぜるのを見ながら、神聖ローマは首を傾げる。
「なあ、マリア」 いつも全て目分量で作っているが、お菓子作りは分量をしっかり量らないといけないのではという疑問からの問いだったのだが、彼は不思議そうな顔で目を瞬かせた。 「・・・なんだ、それ」
初めてその名を聞いたといわんばかりの応えに、大雑把なのではなく物を知らないのだと分かる。
「そこの壁に吊るしてあるやつだ。・・・本当に知らないのか?」
泡だて器を動かす手を止めることなく壁にかけられた調理器具を凝視する。
「・・・市場の量り売りで使ってるのを見たことはあるな」
よくそれで失敗しないものだ。
「なんかまずいか?」
プロイセンが混ぜていたボウルを受け取って篩った小麦粉を加えていると、プロイセンは城に来たときから持ったままの包みを開ける。
「アプフェル・クーヘンか」
16等分にして食べやすいように隠し包丁を入れた皮付きのリンゴをバターをひいたフライパンに並べる。焼き色がついたら砂糖とレモン汁を加え、フタをしてよく煮詰めれば出来上がりだ。
「生地焼くからリンゴ見ててくれるか?」 不貞腐れた様な物言いに苦笑いして――あんた、目玉焼きで苦戦してなかったっけ?という言葉が出そうになったが寸でのところで飲み込んだ。絶対、拗ねる。――バターを差し出した。 「じゃあ頼むぜ。」
コンロの前に移動させた踏み台に乗った神聖ローマが少しぎこちない手つきで掬い上げた生地を熱したフライパンに流しいれる。
「マリア」
出来上がったアプフェル・クーヘンはいつもどおり美味しかった。
魔王、ケーキを焼く。
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