「・・・・それでアメリカったらなぁ」
結論から言うと、イギリスの話は非常に面白かった。
感情を言葉にするのは苦手だが、物事を面白おかしくしかも的確に説明するのはさすが外交上手といったところか、日本も苦笑したほどの兄バカを巧く交えつつ紡がれるアメリカの教育失敗談は、スイスの気を見事に惹きつけた。
ようやく気分が浮上して来たスイスは、そこで一つ疑問に思う。
すなわち、イギリスがアメリカやカナダ、オーストラリアなど植民地化した国々に特別な感情を(あと例外として日本があるが)持っていることは周知の事実だが、何故192カ国分のぬいぐるみまで用意したのだろうか、と。
こだわるところにはこだわる性格だから、手慰みでよく知っている国を作ったものの今度は揃えなければ気がすまなかった、と言うのが有力だが、わざわざ並べる理由が分からない。すると、
「フランスもなぁ、あいつも大人しい時はよかったんだよな。こっちが内乱にかまけている間にぶん取った領地取り戻してまた大きな顔するようになったんだが」
いつの間にかフランスの愚痴が始まっていた。
話がどんどんズレてきているが、さすがにここまでくればその理由が己にあるのは分かってくる。
無視をすることもできず、思考に埋没していた時間を埋めるようにイギリスを窺い、
スイスは止まった。
「食事は美味いし作物は豊富だし文化は発展しているし・・・あのままおとなしくしてればいいものを」
その眼差しは、憎憎しげな口調からスイスが想像した“いかにも”なものではなくて、アメリカのぬいぐるみなどにも向けていそうな穏やかなものだったのだ。少し違うのは、微苦笑を浮かべているところだろうか。
そして、そういえば、とさらに気がつく。
――この会議はアメリカをフルボッコ・・・ではなく糾弾するためにイギリス自ら発案・呼びかけたものだったはずである。だが、今までアメリカのことを語っていた口調は、約一時間半後にそれが行われることなど微塵も感じさせぬような、いつもと変わらぬものだったではないか。
「随分・・・落ち着いているのだな」
思った時には、言葉が口をついて出ていた。
イギリスはいささか補語に欠けた言葉にも戸惑うことなく「ああ」と応え、にやりと余裕の笑みを見せる。
「あいつらは都合の悪いことはすぐに忘れるからな。公衆の面前で本気で怒っても、こちらが疲れるだけだぞ。これは・・・まあ、見せしめだ。ストレスはもっと回りくどく発散するに限る」
「・・・・ならば、あんな思わせぶりな電話など寄越すな」
八橋にくるめば『外交上手』と言えなくもない彼のいつもの様子に、心配してわざわざ2時間前に来ることもなかったか、と疲労感を感じつつ言えば「いや、あの時は確かにぶちキレてたぞ」とこれまた穏やかでない返事が返ってくる。
スイスのSHK入りは、2002年――国際連合への加盟に賛成する国民投票に永世中立の国是が揺らぐと反発した時――とつい最近だ。
当時、それまで付き合いというほどの付き合いがほとんどなかった彼等との、しかも個人的な同盟ということで、彼にしては珍しく他国に関する様々な情報を集め特に二国の心理分析(プロファイル)には力を入れたのだが、やはり自分より何百年も年上の国々の心理は分かりにくいなと、スイスは大きく息をついた。
溜息だとは思いたくなかった。
***
「日本はもともと、海に囲まれ季節によっては台風も多く来る自然の要塞で、イギリスよりも他国からの侵略が少なかったせいでしょうね・・・内向的で、敗戦後はいっそう、他国と係ることに悲観的です。逆にイギリスは・・・・この二国の性格は対照的で調べていて面白かったですよ・・・・大英帝国時代の記憶が強く彼の外交姿勢に影響を与えています」
と言ったのは、本場アメリカから呼び寄せたプロファイラーだった。
「それにしても、驚きましたね。“国”なんてものが人に混じって暮らしているのもそうですけど、そのうちの二国が揃ってエスケープ。しかもあなたまでその仲間に入ろうって言うんですから」
スイスの素性を知ったうえで遠慮も敬意もなくのたまう彼に、しかし、スイスは「早く本題に入ってくれ」とだけ言うにとどめる。
仕事ができ、己の立場を知り、常識をわきまえ、そのうえでこういう態度に出る人間は嫌いではない。
「あれ? ひょっとして時間がない?・・・ということは、やっぱ加盟しちゃいそうなんですか」
「まあ、そうだろうな。誇りで腹はふくれない」
「でもあなたはそれをしようと・・・」
最後の声音は沈んだそれで、スイスは手渡された資料をめくる手を止め、相手をまっすぐに見据えた。
何故そこまでするのかと問う瞳に、何故それを貴様が気にするのかと視線で答える。
「はあ、まあそうですけどね、で、今日お話しする事は二国の他国に対する感情についてですが・・・あ〜〜結論から言っちゃいますと、皆さんを比較した結果、他国に対して一番情を持っているのがイギリス、その次に限定的に情を持つのが日本、ほとんどないのが貴方ということになりました」
「我輩がないのは分かるが、何故イギリスのほうが日本より上なのだ?」
「それはですね。大雑把にいうと、日本が他国への援助などの『干渉』について見返りを求めない代わりに関心も薄いのに対して、イギリスは、その昔はアメリカが痺れを切らして独立したほど、かなりの見返りを求めるが関心も強い、という植民地支配時の体質が根底にあるということです」
「・・・」
「あ、有名な女王様気質は非情とも言えるかもしれませんが、それは、一度は世界のトップに立ってなんだかんだいって、その後も他国の侵略を受けることもなく先の大戦を終えた国には付きもののようなものなので・・・」
ぶっちゃけ、どの国も大なり小なりその傾向は持っていてしかも時代に左右されやすいんで、それは状況に応じて後からスイスさんが分析して付け加えてください、と天才プロファイラーとしてその世界で有名な彼はあっけらかんと『丸投げ宣言』をした。
対してスイスも「その大小を推し量るのが貴様の仕事ではないのか?」とはツッコまず、ただ頷いて了解を示す。スイスならばこれぐらいのことでは怒らないと彼が確信しているように、スイスも彼のプロファイリングの技術には全幅の信頼を置いていた。
「・・・私がいう“非情”というのはそれとは少し違うんです」
「・・・・関心があるかないかということか?」
「好奇心とは別の“関心”ですがね」
「・・・・難しいな」
「なら例を出しましょう。もし二人が引きこもりでなく他国から何かの支援要請を受けたら」
「うむ」
「日本ならばその行為が国際的に批判を浴びないか考えますが、イギリスはまず、頼られたことを喜ぶ、ということです」
「・・・・人がよすぎるぞ。そんなイギリスは聞いたことがない」
「言いますねぇ。ま、確かにそうなんですけどね。実際に行動に起こすのは日本のほうが多いでしょう、でも感情を動かすのは・・・イギリスですよ」
「・・・・・」
「貴方はそうなるだけの余裕がなかったようですから分からないでしょうけれど、一度、他国にかしずかれる優越感を満喫した国はなかなか忘れられないんじゃないですかね。アメリカやロシアやベトナム独立前のフランスとか・・・イギリスほど巧く活かせていないのであまり目立ちませんが、十分その気質はありますよ・・・優しい時は優しいでしょう?」
「飴玉で釣っているだけだ」
「そう思ってしまうのが貴方や日本です、そのぶんじゃ女王様にはなれませんね。御二方とも、例えば他国から何らかの支援要請があったら、先ず相手の腹に一物ないか探るんじゃありませんか?」
「当たり前だろう?」
「当たり前じゃない国もあるんですよ」
「支援要請が来るのは当たり前と思っていると?」
「いいえ、もっとタチは悪いです」
「?」
「支援してもらっても見返りをしないのは当たり前だと思っているんです」
あぁ・・・とスイスの目が遠くを見た。その瞼の裏には、『パックス・ブリタニカ』といわれた頃のイギリスが映っている。
圧倒的な経済的優位性を背景に世界各地にて自由貿易を展開し、市場・原料供給地の拡大を進めていった頃。
相手国に自由貿易を強いる際の武力行使や貿易の安全を現地の政府から守る際の衝突などはあったものの、そのヘゲモニー(長期に置ける権力掌握)によってヨーロッパの勢力均衡が保たれ大規模な衝突もなく、故に古代ローマの『パックス・ロマーナ』に習ってそう呼ばれていた、時代。
後発国の工業化などにより、他国との国力が均等になることで終焉を迎え、最終的に日英同盟に至るほど影響力を落としてしまったが、強大な経済力と軍事力を背景に孤立主義を貫いていたあの頃のイギリスは確かに凄かった。
「・・・迷惑であるな」
「迷惑ですねぇ」
しみじみと呟くスイスに、相手も、半ば同情のこもった目を向けて頷く。
「でも、そこまで他国に横暴を期待できるのって、幸せですよ。イギリスが外交上手と言われるほど他国に関心をもっているのは、この大英帝国として栄えた頃に培った支配者としての優越感と他国への期待感からでしょうね。基本寂しがり屋だから、四面楚歌な状態で日本に優しくしてもらった時の感動が凄まじかったのでしょう、日本に特別甘いのはそういう意味での贔屓目もあります。あとは日本の合わせ方が巧いんですね、きっと」
そして、ふと、微笑んだ。
「本当に、千年以上も生きている国と言うのは、奥が深くて読みきれませんからね・・・・私も調べていてとても楽しかった・・・感謝しています・・・こんなに面白いことを教えて頂いたのに、あまり、実践的なアドバイスができないのが申し訳ないのですが・・・・ただ、この同盟が貴方にとって吉となるか凶となるか私には分からないのですが、きっといい勉強になるとは思いますよ。よく観察なさるといいでしょう。スイスさん、貴方に幸多からん事を」
「・・・随分としおらしい事を言うのであるな」
「今回は随分、見直しましたからね・・・・スイスって最近、良い噂聞かないでしょう?」
***
「なのにあいつったら酷くてさ、人の心配なんかしやしない、『イギリス、何それカッコイイ』だぞ?」
また、いつの間にかアメリカの話に戻っているイギリスの横顔を見ながら、スイスは考える。
支配者としての優越感と他国への期待感と、基本寂しがり屋・・・・――ああなるほど、だから人形か。
おそらく人形相手に一人遊びをするのはこれが初めてではなく、今までも、時折昔が懐かしくなるとイギリスはやっていたのだろう。
跪いて庇護を求めてきていた国の様子をそれぞれの思い出し、そして、いつかまたそうならないかとも思いながら。
――ふむ、そういう意味ではイギリスは一番、引きこもりから脱却する可能性を秘めているかも知れないのである。
もちろん、羨ましくはない。スイスはSHKのままで十分だ。
他国と係るのは何かと面倒で、自分の理想さえ追い求めていければいいのだが、他国が係るとなぜか他国はもちろんのこと国民までああしろこうしろと言うようになる。
だから、羨ましくはない・・・
羨ましくはない・・・・・・・
はずなのだ・・・・・・・・・
他国を支配すると言うことほど儚いものはないし、イギリスのように、日本という同志に巡り合える事など、まさしく奇跡。
そもそも、自身は長らく他国を強く警戒する性格のままでいたため、もうどのように他国と打ち解けていいのか分からなくなっている。正直、フランスやイタリアなどは時折、未知の生物に思えて仕方がない。
ちなみに“他国から何かの支援要請を受けたら”の例に当て嵌めれば、さしずめスイスは“それが人道支援であるかどうか検討する”となるだろう。
・・・だが、イギリスのように自分は笑えるだろうか?
イギリスが感じるような幸せを自分は何かで埋め合わせているだろうか?
日本の、安心しきった眼差しは・・・
イギリスの、結局息の根は潰さない、他国への根本的な優しさは・・・
「羨ましいのである」
ポツリ、とつぶやかれた言葉に一番驚いたのは本人だった。途中から話半分に聞いている時点で礼儀は欠いているのだが、これはさすがにまずいだろう。
違う事を考えていたのがばれたのではないかとか、何がと訊かれたらどう答えたものかとか、そもそも羨ましいと思うとはどういうことだ! などと様々な思いが脳内を駆け巡って、さらに反応ができなくなる。
「だから持ってっていいぞ、テディベア。作ったはいいものの飾る場所も使い道もなくて、ダンボールに詰めてこの城の倉庫に放り込んでいたんだ。好きなだけ持っていっていいからな」
内心焦りつつ表情には出さないスイスを、幸い、イギリスは勝手に解釈してくれたらしい。
「いや・・・」
断りたいもののそれに代わる“羨ましい”の意味が思いつかず、取り敢えずスイスは、ゆっくりと辺りを見回した。
初めて見た(普通はそうだろう)放射線状に並んだテディベアの、主催者席からの眺めは、気持ちが悪くなるのではないかという予想に反して爽快だった。
成る程これならイギリスが忘れられないのも分かるのである、と子どもじみた感想を抱く。
『他国にかしずかれる優越感を満喫した国はなかなか忘れられないんじゃないですかね』
そうかもしれない。
『あいつらは都合の悪いことはすぐに忘れるからな・・・・ストレスはもっと回りくどく発散するに限る』
それはよくわかる。
『優しい時は優しいでしょう?』
・・・・・否定は・・・できない。少なくとも、イギリスも日本も自分よりはいいやつらだと、スイスは思う。
2年前まではまったく考えもしなかった感慨を抱きながら、しかもそれが少し心地よいように思える自分に、この日初めて、スイスは笑みをこぼした。
――だが、悪いな。貴様の希望を打ち砕くつもりはないが・・・
「ふむ、では192ヶ国分全て貰うのである」
「は?」
てっきり、自分の国とせめてSHKのメンバーの分だけもっていくのかと思っていたため、呆けた声を上げたイギリスに、今度はまじめな顔で言う。
――貴様にとっての“期待国”は、我輩にとってはほとんど、“仮想敵国”なのであるぞ。
「一部は友好の証として執務室に、残りは射撃練習場に飾りたい」
とはいえ、完全に本気で言ったわけではない。難しい表情になったイギリスを眺めつつ「冗談だ」と口を開こうとして、
「そこへの無許可立ち入りを認めてくれたら、やってもいい」
先にイギリスが口を開いた。
スイスの目が、見開かれる。
その前には、冬の湖にも、夏の森の木々の木漏れ日にもなる翠が二つと、栄華を誇っていたあの頃の自信に満ちた笑みが一つ。
『本当に、千年以上も生きている国というのは、奥が深くて読みきれませんからね』
――・・・そうだった。分かりにくく油断がならなく・・・
「ああ、もちろんである」
――しかし思わず、気を許してしまう。
応え終わった口元には、イギリスと同じような笑みが浮かんでいた。
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