ドイツが彼を初めて見たとき、死神が迎えに来たのだと思った。
銀と赤の色彩を纏い、死を齎す鈍色の鋼を携えたその人は、呆然と見上げるだけの俺を見下ろして言った。
「坊主、1人か?・・・一緒に来るか?」
そうして差し出された手を取った日に俺は彼の弟となった。
俺に拾われる前の記憶はない。
親に捨てられたのか、孤児になって彷徨っていたのか、それとも単なる迷子だったのか。
名前すらなかった俺にヴェストという名を付けてくれた兄の名はプロイセンと言った。
彼は身の上をほとんど語らなかった。
定住せずにあちこちを渡り歩き、路銀がつきそうになったらギルドの仕事をこなし、時折気まぐれで居を構える。
勝手気ままに鳥のような生き方をする人が、どうして負担にしかならない子供を拾ったのか。その理由を聞き出せたことはない。いつもはぐらかされて終わりだ。
共に旅をしながら様々なことを学んだ。
幼い頃は仕事に連れて行ってもらえず寂しい思いもしたが、その分甘やかしてもらえることが嬉しかった。
12になったとき、ドイツという名をもらった。本当の名を知られて呪いをかけられないようにする古い風習なのだと言っていたが、兄は相変わらず俺をヴェストと呼んでいたからどこまで本当なのかは分からない。
15になって仕事に連れて行ってもらえるようになったことは何よりも誇らしいことだった。
そして18の誕生日を迎えた日。俺は彼と別れて1人で旅することになった。
離れたくないという気持ちもあったが「1人で経験を積むべきだ」という彼の言葉に異を唱えることができなかった。自分だけの力でどれだけやれるかを知りたいという青臭い気持ちもあったからだ。
あの人がそれに気付いていたかは分からないが、次の日起きると兄はいなくなっていた。
残されていたのは十分な路銀と旅に必要な装備一式だけで、兄が居たという痕跡すらなかった。
それから2年の月日が流れ、俺はそろそろ20になろうとしている。
兄にはあれ以来一度も会えていない。大陸は広いから当たり前のことだが、このまま2度と会えないのではと思うと少し寂しい。だが同時に、まだ未熟な自分を見せたくないという思いもある。
もし再会して一人前だと認めてもらえたら、また一緒に旅が出来るのだろうか。それとも・・・
俺は今、馴染みの商人の薦めで帝都アドリアに向かっている。
途中にある丘の上からみた大地には、南に来たならば一度は見るべきと謳われるに相応しい美麗な町並みが広がっていた。
「あれがアドリアか・・・」
政治経済の中心であると同時に観光地でもあるアドリアには多種多様な人間が混在している。
行きかう人は皆、生気に溢れていて陽気だ。大地そのものが生命に満たされているようで心地よい。
荷物を置いた宿で教えてもらったギルドに顔を出すと、ギルドマスターは不在とのことで店主のスウェーデンが応対してくれた。
「・・・ビールはないのか」
「ホットビールならある」
「いや、ホットは・・・」
ぬるいビールはともかく、ホットはなんとなく抵抗がある。
コーヒーにしておこうかとメニューを捲っていると、背後からどたどたと喧しい足音が近づいてきて隣の席に突っ込んできた。まあ、カウンター席だから隣り合っても構わないが、了承ぐらいとってもらいたいものだ。
「なんだい! まだコーラはないのかい!」
かなり勢いよくカウンターにぶつかったとうだったが、本人はなんともないように平然と店主に話しかけている。丈夫な奴だ。
「君、見ない顔だね」
なんとなく視線を向けたままでいると唐突に振り向いた顔がこちらに向けられた。
好奇心に満ちた青空のような目が放つきらきらとした視線に居心地が悪くなる。悪意を向けられるよりはいいが、対人スキルが低い俺はどうすればいいかわからなくなるんだ。
「移住者って感じじゃないね。旅人かい?」
「あ、ああ。今日、この街に着いたところだ」
「わお。この街も初めてなんだろう?俺も半月ぐらい前に来たばっかなんだぞ」
「そうか」
「それからほとんど毎日来てるんだけど、未だにこの店に冷たい飲み物はないって言うんだぞ!あってもウォッカとかワインとかぐらいでさ!」
「うちで冷たいもんなんて飲んだら腹こわすべ」
「それぐらいでヒーローはへこたれないんだぞ!」
2人はそのままぎゃいぎゃい言い合い――実際に騒いでるのは客のほうで店主は適当にあしらっているようだが――を始めた。
ところで俺はまだ注文をしてないのだが、どうすればいいんだろうか。
あの後、店の奥から出てきた店員が制止したことで言い合いは止まった。
だが俺は解放されることなく、何故か客の青年――アメリカというらしい――の話し相手をすることになった。何故だ。
「へー、1人であちこち旅してるんだ」
「ああ」
「俺は旅ってしたことないんだぞ。日帰りで近くの街に行くぐらいでさ。偶にイギリス、俺の育て親みたいな奴なんだけど、彼に連れられて遠出するぐらいで。出かけても危ないからってあんまり出歩かせてくれないし」
「俺も子供の頃はそうだったな。本を読んだり、宿から外を眺めて暇つぶしをしていた」
「したなぁ。あそこの店はいい匂いがするなーとか、あれは面白そうだなーとか。宿の前の店ぐらいいいだろうって言うのに、カナダはダメって怒るし」
「カナダ?」
「俺の兄弟さ。この街で店を開いてるんだ。アイテムを買いたかったら行ってやってくれよ、赤と白の屋根だからすぐ分かるんだぞ。ぼーっとしてる奴だから俺が代わりに呼び込みしてやらないと潰れちゃいそうなんだ」
「ああ。用事があれば行ってみよう」
アメリカは口数が少ない上に仏頂面だろう俺を全く気にしていないようだった。
小さいことを気にしない大らかな人柄、というよりは小さいことを気にするつもりのないマイペースな奴のようだ。兄さんの悪友に似たような人が居たな・・・。
「君は家族はいないのかい?」
「兄が居る。親は知らない」
「ふーん。俺はたくさん居るんだぞ。皆、森でイギリスに拾われたり捕まえられたりしたんだ」
「・・・そうか」
話してみて思ったが、俺たちは意外と共通点が多いようだ。
親を知らない境遇を嘆いたことは無く、同情されるのは育ててくれた兄への侮辱のような気がして好きではないから気安い態度は嬉しいものだ。
ところで”捕まえられた”の内容を聞いてもいいものだろうか。
「イギリスはすっごく口うるさい奴なんだぞ。料理も不味いし、口悪いし、態度も悪いし、ケチだし、未だに子ども扱いしてくるし、酔うと暴れるし、すぐ怒るし、怒り出したら長いし、逃げたら追っかけてくるし」
「それは君が怒られるようなことするからじゃないかい」
尋ねる前に話題が移ってしまい聞き手に徹していると、いつの間にかアメリカの隣によく似た顔の青年が座っていた。
職業柄、人の気配には敏感なはずなのに全く気付けなかった。・・・相当な手だれか?それにしては気迫というようなものがないが。
「カナダ!驚かさないでくれよ!」
「・・・・・・どうせ僕は気配が薄いよ」
・・・世の中にはいろんな人が居るんだな、兄さん。
いじけて腕に抱いた白熊に愚痴りだした青年をアメリカが宥めようとわたわたしている。
「誰?」
「カナダだよ!・・・あ、いけない。えぇっと、始めまして。僕、カナダです」
連れの白熊にまで存在を忘れられているらしい青年カナダは居住まいを正して俺に向き直った。アメリカと違って礼儀正しいようだ。
「・・・ドイツだ。今日「今日この街に来たらしいんだぞ!」
「もう、アメリカってば。人が話してるとこに割り込んじゃダメだよ!」
本当に似てるのは顔だけのようだ。
「ノルウェーくんがアメリカが店のお客さんに絡んでるって言うから様子を見に来たんです。こいつがご迷惑かけてませんか?」
「・・・・・・」
迷惑・・・。
始終相手のペースに引き込まれて振り回されている感はあるが、迷惑ならさっさと席を立って去っている。
否と首を横に振れば、カナダは安心した様子で肩の力を抜いた。
「酷いぞ。俺はドイツと仕事の話をしようとしてたのに!」
「しごとぉ・・・?」
アメリカに向けられたカナダの目が疑わしいと言わんばかりに眇められる。
過去に何かあったのだろうか。
「そうだよ。ドイツは街に着いたばかりで、受注済みのクエストとかパーティメンバーとかはいないんだろう?」
「あ、ああ。今日はギルドを覗くだけにしようと思っていたからな」
「なら大丈夫だよね!」
「・・・まずクエスト内容を言え」
「よし。早速出発だー!」
「だから、まず内容を・・・聞けー!!!」
連れて行かれたのは生活用水の排水路として使われている地下水路だった。
よく分からないままに連れ込まれてしまったが、こういうところは国が管理しているものじゃないのか?
あと俺はクエストに協力することを了承していないし手続きもしていないのだが、ちゃんと報酬はもらえるんだろうな?
「ここにスライムが大量発生しているから掃除して来いって言われたんだけどさ、量が多すぎて飽きてきちゃって」
「対した戦闘能力が無い癖に群れる雑魚ほどつまらないものはないからな」
「そうそう。しかも壁や天井を壊すなって言われてさらに面倒でさ!」
「ふむ。まあ、それは仕方なかろう。下手すると浸水してしまうだろうし、汚水が流出でもしたら感染症の心配も出るからな」
「あいつら倒しても倒しても湧き出て来るんだぞ。ここって暗いし臭いし濡れるし!」
「・・・おそらくクイーンスライムが居るんだろう」
「クイーン?」
「そうだ。スライムはクイーンが分裂することで増えるんだ」
「だから数が減らなかったのか。じゃあ、そいつを探すことにするんだぞ!何処に居るんだい?」
「俺に聞くな。専用の道具があるならともかく、初めて来た場所でそこまで分かるわけなかろう」
「えー」
「・・・多くのパターンとしては群れの中心、スライムが多く居る方だろうと思うがな」
ならまずスライムを探そうということになり、あちこち分岐する水路を進んでいくとスライムの群れと遭遇した。
水路は壁際に通路があり、中央を水が流れているのだが、通路も水も関係ないとばかりに床にわさわさと転がっている。
これは大量発生とかいうレベルじゃないだろう。
体の半分はあるだろう目が俺たちを見つけると警戒心を表す赤色に変わった。
「戦闘開始なんだぞ!」
言うが早いか、アメリカは腰から吊るしていた武器を手に取り、スライムに向かって何かを放った。
それがスライムに当たると、炎に包まれて悲鳴を上げながら消滅した。
「銃か」
「それもただの銃じゃないぞ。弾によって特殊な効果を発揮する俺手製なんだぞ!」
「ほう・・・。それは興味深いな」
それはそうと常識的に考えて、こういう会話はクエストに出る前にするものだと思うのだが・・・。
というか、いくら近場でも支度無しにクエストに向かうというのはどうなんだ。宿に戻る暇すらなかったぞ。
武器は常に持ち歩けという兄の教えに従っていてよかった。じゃないと肉弾戦のみで挑まないといかないところだった。
ちなみに俺は大剣を扱う剣士だ。身の丈もある大剣は持ち運びこそ不便だが、攻撃力もさることながら盾として使うことも出来る攻守兼ね備えた武器なのでずっとこれを使っている。
「そういえば君は魔法を使えるのかい?」
「いや、あまり得意ではない。使えはするが速攻性はないな。簡易の回復術が精々だ。お前は?」
「・・・暴発するのを武器にしたらいいんじゃないかって言われたんだぞ」
「・・・・・・そうか」
「とにかく突き進むしかないってことかい。えーっと、スライムが多いほうに行けばいいんだよな!」
「その通りだが・・・。おい!だからといって何の策もなく突っ込めばいいってもんじゃないぞ!」
スライム相手に小1時間
「それにしても解せんな」
「何がだい?」
「なんで一頭身にも関わらず知能があって生命維持が出来るんだ?」
「・・・へ?」
「食物摂取のための口腔があるのに排泄器官がないなど不可解にも程がある。内臓はあるのか?脳は?」
「・・・スライムを鷲掴みにしてそんなこと言う奴なんて初めて見たんだぞ」
「一度解剖して内蔵機能を調べてみるべきか?ん、なんだ?命乞いか?ふむ。感情という高度で複雑な知能も持っているのか。ますます解剖して仕組みを知りたくなるな」
「ど、ドイツ!泣いてる!涙は出てないけど泣いてるから!放してやってくれよ!」
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