S H K
それは『世界ひきこもり協会』の略である。
組織名が日本語を元にしていることから分かるように、日本に本部を置くこの集まりは、他国との政治的・戦略的な関わりを拒絶し、武装かつひきこもりを選んだ国たちが創り上げた組織だ。
主な活動は”ひきこもるため”に何が必要であるかの話し合い。愚痴の言い合いや情報交換。さらには会員のひきこもりを邪魔する存在の妨害・排除。
現会員はスイス・日本・イギリスである。
そもそもの発端は、日英同盟が結ばれたあたりから始まる。
数百年のひきこもり状態から、いきなりやってきたアメリカに――それも鯨と友達になりに来たという理由で
――開国させられ、アルカイックスマイルの下で不満その他を溜め込みまくっていた日本が、栄誉ある孤立中のイギリスと意気投合したことが始まりだった。こちとら島国なんだから、てめぇら大陸が関わってこなければ、毎日平穏無事なんだよこの野郎!といった内容の話し合いが行われ、SHKの前身となる組織が創設された。
そのため当時は島国同盟の頭文字でSDとか呼んでたらしい(英語でないのは、日本に甘いイギリスが譲歩したからだ)。
それが永世中立国家宣言をしたスイスに目をつけ、これまた見事に意気投合し、SHKと発展したのだという。
最初のはただ単に愚痴を言ったりするお茶会程度のものだったのだが、日本とイギリスが第一次世界大戦に(国民の意思であったとはいえ)引っ張り出された辺りから変化することとなる。国が国である以上、国民の意思に真っ向から対立することなはい。ないのだが、出来ないわけではない。
しかし、この辺りまではまだよかった。
この後にあった第二次世界大戦が事態を悪化させるまでは。
国同士の付き合いも大事だからとある程度は妥協していた日本。弟分と隣国に説得されてまあ仕方ないかと思っていたイギリス。しかし戦争が長引くにつれ、積もっていたストレスその他が爆発した。
最終的に何が引き金になったのかは分からない。日本の広島・長崎への原子爆弾投下。イギリスのロンドンへの空爆。この辺が決定打だったのではないだろうかと近隣国は思っている。
最後に日本・イギリス両国が国際の場に姿を現したのは原子爆弾投下後の日本降伏直後だ。連合国・枢軸国が集まる中で、この二国は「もう周りの騒動に巻き込まれるのはご免だ。こっちからは一切関わらないから、そっちからも関わってくるな」といい置いて、完全ひきこもり状態に入ってしまったのだ。
それ以来、SHKと国連の永い戦いが始まることとなった・・・。